ゆるりーん

低空飛行の日々です。

ぐちゃぐちゃな気持ち

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両親が最後の旅行(というか宗教の本山に参るやつ)に出かけた。私は留守番。

思えば、この家は貧乏であり、母は熱心な信者なので、旅行といえるようなものは夜行バスで本山というところに行く宗教的なものしかなかった。

今回はバスは体力的に無理だし、新幹線はトイレにこもって乗れないとかいろいろ無理そうだったのでレンタカーで行った。

すごい荷物でちょっとどうなの?と思ったけど。

お金がないので、ホテルは1泊にしてあとは親戚の家に泊めてもらうからと布団も持って行ってた。
最終的には車中泊などするかもらしい。

西日本から東海、親戚のいる東日本へ。
遠いし、高速とか危ない車もいるし、普通に心配しかないけど。

普段から息上がってるし喉が痛いだの、何が痛いだの言ってるけど、まあ熱心だから仕方ない。声ほぼ出てないけど念仏唱えてるし。

その本山に弟の骨も散骨するといきなり聞かされた。
ずっと寺に預けてあったと聞いて、そうだったと思い出した。
私は風呂敷に包まれた状態をチラ見したくらいだけど。
戒名がその宗教のものになった時から諦めてはいたけど、いよいよ散骨もそこでするのかと少しショックだった。かといって墓を作ったところで私で絶えるのでどうしようもないし、いっそその辺の海に散骨した方が気分はマシなんだけど。
熱心な人だから宗教的に思い通りにならないととたんに機嫌悪くなるので。
まぁ、ゆーて骨やしなと。どこで撒かれようが埋葬されようが、骨やし。そこまで思い入れないし、わざわざ禍根を残すようなことをする必要もなく。私が思想信条として絶対に海に撒かないとってわけでもないし。もういないので。

いろいろ用事をくっつけて、親戚にもやっと病気のことを話すみたいなので、母の心の整理みたいな旅になるのかなと。

早く言った方がいいのに、もっと早く行っておけばよかったのに、そんなことしてる暇があったら他にやることあるんじゃ?とかよく思ってたけど。
最近では、他人の人生なんだからと思うようになった。自分の人生ではないんだと。
どうなろうと私から見てどうだろうが、本人が自分で選んでるんだから、ひとがとやかく言う筋合いはない。
本人が満足だろうが不満だろうが、自分でこうと思って選んだ結果の方が受け入れられる。

自分は自分、他人は他人。
よく言われることだけど、やっと少しわかってきたような。